Magenta Light

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ピンクムラムラ・自分で作った殻をとりこわして外へ出る

私は人の中に入るのを好まない人間です。

子供の頃から人生50年を過ぎるまで、引っ込み思案で、人と接することに難しさを覚えずにはいられませんでした。
会話の無い家庭に育ったこともありますが、話題を作ることができずに、おとなしい暗い人間と思われてきました。

確かに自分は普通の人とは違うのですが、何故違うのかを考えてみても答えはでませんでした。
そのようなことを人に話しても理解してはもらえないだろうと、悩みを一人で抱えてきました。

自分だけが世界中でたった一人違う人間だという疎外感は、はかりしれない淋しさと悲しさを呼び起こします。

ところがインターネットが普及して、同じ悩みを持つ人々のブログと出会い、世の中には同類がたくさんいることを発見して驚きました。
きっとみんなブログでしか話せなかったのでしょう。
そのおかげで “自分ひとりではなかったのだ” という安堵感を覚え、慰められた人は、ずいぶん多いことと思います。

生まれてから今までの間に、特にトラウマになるような経験が無いにも関わらず、生まれつき人と馴染めないという人は、過去生のトラウマが原因であることが多いようです。

メタフィジカル(形而上)な見方からいうとカルマということになりますが、過去生でのトラウマがオーラの中に刻まれていて、今生に持ち越されているのです。

例えば、過去に、本質的に変わり者だったためとか、あるいは一般と違う自分の意見を主張したためとかで、多くの人からひどい目に合わされ、のけ者にされたのです。

その記憶が魂の中に残っていて、知らない人と話したり、たくさんの人の中に入るのを恐れているのです。

相手が自分をどう思うかが気になって、いつも構えてしまいます。
ギクシャクとして、自然に振舞うことができず、その場をリラックスして楽しむなどは到底できません。

ですから淋しいにも関わらず孤独を撰び、何でも自分一人でやろうとします。
“一人でも平気よ” と強がってはいますが、内心は淋しくて仕方が無く、人一倍 本物の “人との繋がり” を欲しています。

のけ者にされないために、“人との繋がり” に憧れているのです。
それは、そうでない人には理解できない種類の憧れです。

カルマとは平たく言うと “思い込み” です。

自分は人と違っているから、人と同じにならなくてはいけないという思い、それは思い込みでしかありません。

その思いを手放して、“人は誰もみな違っていて当たり前だから、他人と同じにならなくていい” という事実を認識することです。

自分が変わる必要はありません。
所詮、本当の自分は、そう簡単に変わることはできないのです。
誰の前でも堂々と自分自身でいられるようになればいいのです。

私がそのように気づいたのは、実にフラワーエッセンスのおかげです。

今では、知らない人と話をするのも平気だし、必要とあれば、人がたくさん集まるところへも苦痛なく行くことができます。
でも本当の私は、未だ変わらず、一人でいることを好む人間です。

エッセンスを使うことで、なるべくたくさんの人が生きてゆきやすくなって欲しいという願いから、このブログを始めました。

特に過去の私と同じ問題を抱えている方々のために、ピンクムラムラは、自分で作った殻を破って、自由に外へ出られるようにと助けてくれるでしょう。

pink mulla mulla
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ピンクフランネルフラワー・“ありがとう”の気持をふくらませる

だいぶ昔になりますが、日本から、ある小雑誌が送られてきました。

それを書いた人の名前も、どんな人だったのかも覚えていませんが、内容は、何があっても“ありがとう”を言っていたら病気も治り、人々との関係も良くなり、何でもうまくいくようになって、人生の成功を掴んだということでした。

言葉には言霊が宿っていると言いますから、たとえ本心でないとしても“ありがとう”を繰り返していると、感謝の気持ちが芽生えてくるのかも知れません。

“ありがとう”という言葉を、私たちは、誰かが自分のために何かをしてくれた場合に習慣的に言っています。
(中にはそれもできない人もいますが、そういう人たちについてはここでは触れないでおきます。)

でもその言葉の中に、どれだけ本当の自分のありがたがる気持ち(感謝)が込められているかです。
感謝の気持ちは、その気になれば、どんなことに対しても持つことができます。

同じことをしても、楽しめる人と、ちっとも面白くないと思う人がいますが、それは感謝の量の違いではないでしょうか。

例えばどこかへ遊びに出かけて行って、その時間の中でどれだけたくさんの“ありがたい”と思うことを見つけられるかです。

良いお天気だとか、ステキな景色が見られたとか、美味しいものを食べられたとか、誰かと一緒に時を過ごせたとか、それらを“ありがたい”と思えたら幸せになるでしょう。

幸せとは、何をしたかではなく、どんな気持でいるかに関わってくるものです。

ある人はバリバリ仕事をしてたくさんの人の役に立っているかもしれません。
また、ある人は病弱で自分ひとりが生きるのが精一杯かもしれません。

人それぞれ、生きている環境や役目は違いますが、同じに生きているなら、できるだけたくさん楽しい時間を持ち、幸せでいるほうが得というものです。

人生をフルに生きるとは、どれだけの仕事をしたかとか、どれだけの富を手に入れたかではなく、一秒一秒を楽しみ、幸せを感じて生きることなのです。

どんな環境や状況であっても、この人生は自分だけの大切なものです。
その与えられた(あるいは自分で選んだ)人生を、いかに輝かせるかがだいじです。

充実した人生とは幸せにあふれた人生。
毎日の中にちりばめられた幸せは、感謝することでたくさん見つけることができます。

ピンクフランネルフラワーは、小さなことにも感謝できるように、あなたのハートを養ってくれます。

一日の終わりに “今日は私はいったい何回“ありがとう”を言っただろうか” と考えてみるのもいいものです。

そして、明日はもっとたくさんの幸せを見つけましょう。

pink flannel flower
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ガイアエッセンス

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ABFEの一番新しいエッセンス、ガイア(地球)エッセンスが私のところへやってきました。

Divine Presence Essencesとして、アイシス、ソーラーロゴスのあとに作られました。

この三つのエッセンスは、どれも、ハイヤーセルフと、創造主の神聖で偉大なるエネジーを、私たちの体、精神、心のうちに取り入れさせます。
そして、最高のワンネスの体験をもたらせてくれます。

私が最初に、このエッセンスのボトルを掌に載せて向き合ったとき、とても深いものを感じました。
そのあと、ゆったりとしたおおらかさと優しさと力強さがやってきました。

それがまさに “母なる大地”・・・地球” なのですね。

飲んだ時には、特に何も感じなかったのですが、摂ってゆくうちに自分がとてもおおらかになってゆくような気がしました。

今地球の上では、いたるところで、毎日今までにない大きな変化が起こっています。

ニュースはホラー映画のようです。
人々はどうしてもその映像に影響されて恐れを抱かずにはいられません。

地球が生まれて何年経つかは、数字に弱い私は何度聞いても覚えられませんが、その悠久の時間を脈打ち、意識を持ち、“地球” で在らしめてきたのです。

人間の歴史は、悲しいかな、戦い殺し合いの歴史です。

自分の体の表面で何が起こっても、変わらずに地球は、自分の体に生きるものたちを育んで生かせてきました。

これが地球の究極のそして唯一の務めなのです。

地球は何が起きても恐れてはいません。
何が起こってもあきらめません。
何が起こっても穏やかに息づいているのです。

地球の気持ちが、ほんのちょっとですが、私にも伝わってきたようです。

何が起こっていても、メディアや大衆意識に翻弄されることなく、自分の生きる使命だけを全うしてゆきたいと思います。



ガイアエッセンスの働きを箇条書きにします。

・地球の空気、火、水のエレメントと、私たち自身の中にあるそれらのエレメントを、一線上に添わせる。

・地球の愛と守りを感じられるようにする。

・私たちの周りや、内に起こっている変化にオープンになり受け入れる。

・霊的レベルでのグランディングやアンカーリングをさせて、深いところからの意識を浮かび上がらせる。

・地球に降りそそぐソーラーロゴスエッセンスのエネジーを、十分に体験できるようにアシストする。

・中心に沿わせることで、私たちの体、精神、心に宿る“神聖な存在(神)”と結びつけ、私たちの光を世界へ放つことができるように手助けする。

・天と地との統合に私たちを結びつける。

・内なる男性性と女性性のバランスを取る。

・最高の霊的エネジー、神聖な愛を、地球と私たち自身へと注がせる。

・ハイヤーセルフとの繋がりを深め、しっかりと根付いた方法で私たちの神聖な目的へと帰らせてくれる。

・安全を感じ、変化を受け入れ、感情が滞らずに流れるようにする。


gaia eccense

スレンダーライスフラワー・自分と異なる他人を認め、受け入れる

私たちは膨大な宇宙のオーケストラの一員なのです。
みなが共に演奏するためには、一つ一つの楽器が互いに良く音響し合わなければなりません。
J. Allen Boone


人種差別は偏見と狭量なものの見方から生まれます。
自分たちだけが優れた人種であると考えて他を否定することです。

人種差別を無くすとは、他の民族を自分たちと同化させることではありません。
違う人種の存在を認め、その違いを受け入れることです。

これは実は、人種間の問題ではなく、人間個人の問題なのです。

人間なら誰でも好き嫌いの感情があります。
好みといっても良いですが、人に対しても自分にとって好ましい人と、嫌な人とがいるものです。
嫌な人はできるだけ関わらない方がいいのですが、仕事上とか家族だからとかで、付き合わないわけにはいかないことが多いです。

その場合、その人を強く憎んだり嫌ったりすることだけは避けるべきです。
人を嫌うことは大きなエネルギーを使います。
そのエネルギーが、自分では気が付かないところで、大きなネガティヴの要因になっていることがあります。

例えば、嫌われたと知ったその人は、まずいやな気持になるでしょう。
怒ったり、悲しんだり、落ち込むかも知れません。
その結果、人間不信になる場合もあるでしょう。

あなたが人に嫌悪感を示しただけで、このように大きな悪影響があるのです。

では、その嫌悪感をどう処理したらよいかということが問題になってきます。

まずは、あなたの狭い考えを方を変えることです。

嫌いな人でもあなたと同じ人間なのです。
人間はみなそれぞれ個性がありますから、自分が思うようにはなってくれません。

人はみな違うということを認識することがまず第一です。
そこから、違った人とどのようにうまく生きてゆくかを考えることができます。

色々なテクニックを使ってもいいでしょう。
例えば、その人をなるべく刺激しないようにとか、会話を深いところには進めないとか、まあ上辺だけのお付き合いということになりますが、それでも自分の “嫌い” を表してしてしまうよりはいいのです。

但し自分の真髄を曲げてはいけません。

人にはそれぞれ自分でしか守れない領域があります。
そこにずかずかと入りこんでくる場合は断らなければなりません。

弱くて自分の領域まで開け放してしまうのは、その人と対等に生きる権利を自分から放棄することです。
自分を失ってしまったら、どんな人とも対等な付き合いはできなくなります。

“自分” は誰にとっても、とてもだいじです。
だいじな自分とだいじな他人がいて、調和した一つの社会が成り立ってゆくのです。

ユニヴァーサルな観念から言うと、人を嫌うことは自分を嫌うことと同じです。
何故なら “私たちはみな一つ” だからです。

それはいくら否定してもだめなのです。
そう創られているのですから。

それに対して人間は常に反抗してきました。
ここらで、そのことに気づくときがきたのだと思います。

スレンダーライスフラワーは、他人に対する視野を広げ、人々の間にハーモニーをもたらせてくれます。

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マルチカルチャリズムに思うこと

オーストラリアは、マルチカルチャリズム(複合文化主義)を目指していて、多くの国民が支持しています。

イギリスからの殖民者によりオーストラリアが作り上げられましたが、その後この国へ移住してきた他民族は数多く、移民はなんと全体の四分の一と言われています。
どこへ行ってもアラブ系アジア系の顔が見られ、最近はアフリカ系も増えています。

オールトラリアにはセクション18Cという法律があって、オーストラリア人が異人種に対して批判や悪意のある言葉を発したり、あるいは行動を取ると罰せられるのです。

でも逆の場合、つまり移民がオーストラリア人を、人種の違いから非難したり馬鹿にした場合については、明確に記されていません。
なんか不公平だなと私は思います。

移民やアボリジニや同性愛者たちの少数派は、大声で自分たちの同等の権利を主張します。
そのことをとやかくは言いませんが、オーストラリア人にしてみれば理不尽と思われる場合でも、オーストラリア人は彼らに対して何の言葉も返せないのです。

政治家をはじめみんなが腫れ物に触るように、びくびくしているように思えます。
ですから、言動の自由を妨げるものとして、これに対する反対の声も高まってきています。

アボリジニはファースト・オーストラリアンと呼ばれています。
つまり一番最初にオーストラリアに住み着いた民族です。

ところが、オーストラリアの憲法には、アボリジニについては何も書かれていません。
いまだにアボリジニはこの国で法律的に認められていないのです。

そこで法律を変えるために、国民投票を希望する声がアボリジニの人々の間から沸き起こってきています。
アボリジニもオーストラリア人としてちゃんと法律で認められるべきだと私は思います。

アボリジニたちは土地を返せと言いますが、もうかなりの土地は返還されました。
自分たちが最初にオーストラリアに渡ってきた人間であることが事実であるのと同様に、そのあとにイギリス人がやって来たのも実際に起こったことなのです。

歴史をもとに戻すことはできません。
いつまでもこだわらずに、共に生きる一つの国民として、前へと進んでゆくことにエネルギーを使って欲しいと思います。

たくさんのイスラム教国の学校が作られていますが、はたしてオーストラリア人は受け入れられるのかなと思います。
学校だけではなく、クーイーンズランド州にはアラブ人のための町ができるそうです。
これは外国の中に自分の国を作ろうとしているのと同じではないでしょうか。

そのような制限を作ることは、自分たちの方で差別をしているのではないかと思います。
それはマルチカルチャリズムとは言えませんよね。

色々な民族が同じ土地で隣り合って仲良く暮す。
こんな素晴らしい理想はありません。

でもそれは相互関係で成り立つのだと思います。
お互いに歩み寄ることがだいじです。

オーストラリアのマルチカルチャリズムもまだまだよちよち歩きの状態です。

自分たちの権利を主張しあうのではなく、お互いの異なった部分を認め合って受け入れる。

そのように、人々の意識の改革が同時に進められなければ成り立たないことだと思います。

multi culcherism
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自然と共に生きるアボリジニ


スピニフェックスと聞くと、やはり思い出すのはエアーズロック、カタジュタです。

オーストラリアのハート、エアーズロックのあたり一面に自生するスピニフェックス。
春と秋の雨後に花を咲かせ、それが風に揺れる光景は、まるで砂漠に金色の波がさざめくようだそうです。

赤土にぼこぼこと茂るその姿は、どこか遠くの、知らない星の風景を想像させます。

ayers rock
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でも考えてみると、それはとても地球らしい景色なのかもしれません。
人間たちが地球を変えてしまった以前は、どこもこんな感じだったのではないでしょうか?

エアーズロックやカタジュタは原始の地球そのものです。
アボリジニたちが大切に守り続けてきた地球が残っています。

アボリジニはもともとはアフリカの黒人だそうですが、4万年から8万年前にタイ、インドネシア、インドなどから渡ってきた人々です。
氷河期には人口はかなり減りましたが、それを乗り越えて生き残った人々です。
厳しい自然を生き抜くために農耕民族ではなく、狩猟、釣り、果実の採集のために一箇所に定住せずに、移動して暮していました。

たくさんの部族がありましたが、部族間で物々交換をしたり、その場所で女性の交換もありました。
結婚は部族間での結びつきが主でした。

部落には長がいますが、身分制度はありません。

アボリジニたちに、決して争いがなかったとは言えません。
使われていた道具や武器の中には盾もあります。
盾は槍やブーメランなどから身を守るためのものですから、他の部落の女性を盗んだりなどで、部落間の戦いはあったようです。

でもアボリジニは自然と共に生きてきたのです。

人間同士だけではなく、常に動物、植物などと関わって生きていて、自然のバランスを崩さないようにしてきたのです。
自然が壊れることは食料がなくなることで、生きてゆけなくなるからです。

彼らは自然のエネルギーを感じることができるので、あの独特の点で描かれた絵は、エネルギーを描いていると言われています。

aborigini art
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ディジュリドゥー(楽器)の音は動物や鳥の鳴き声を真似しただけではなく、自然のスピリットや地球との交信のような音です。

白人が入って来るまでは、彼らは昔からの生活をずっと保っていました。
ある日突然に白人がやってきて、全く違った考え方と生活の仕方により、自然を壊し始めたら、アボリジニたちが怒るのも無理はないでしょう。

オーストラリアのアボリジニだけでなく、アフリカやアマゾンの原住民、アメリカインディアン、モンゴル人、日本のアイヌもですが、みな大昔からの変わらない生活をづっと続けてきた人々です。

地球上には、文明を切り開いてゆく人間と、自然のままに暮す人間とがいます。
この二種類の人間たちは、もともとが違うのではないかと私は思います。

文明を切り開く人間は、王国を作り上げます。
階級制度ができあがります。

自分が豊かになるために、他人を踏み台にしてまでお金を稼ぎます。
お金が重要な位置を占め、お金が支配する社会になり、物質主義に偏ります。

自分たちの生活向上のためには自然を顧みません。
自然よりも自分たちが大事なのです。
自分たちを自然から切り離しているからです。

そして人間がもともと内に持つ大切なものをなくしてゆきます。

おかげで便利な世の中になりましたが、その中で生き抜いてゆくために跳び越えなければならないハードルは高くなる一方で、落ちこぼれる人間もたくさんいます。

私も文明の恩恵に甘んじて生きている人間の一人ではありますが、どちらが地球と人間のために当てはまったものかを考えると、アボリジニのように自然と共に生きる生き方ではないかと思います。

スピニフェックス・皮膚の傷を治し、炎症を押さえ、神経を和らげる

スピニフェックは地面近くに低く生える植物なので、肉体面で働くエッセンスです。
擦り傷や切り傷、ヘルペス、クラミジアによる喉の腫れ、その他の炎症に内用と外用の両方で使うことができます。

もう一つの働きとして、ABFEは “全ての病気の元は感情にある” という考え方が根底にありますが、
スピニフェックスは、自分の肉体に現われている病気の、基となっている感情がなにかを解らせてくれます。

それを理解したあとに、その感情に関するエッセンスを摂ることでヒーリングされます。

そしてもう一つ、あまり知られていないのですが、神経に関わるエッセンスでもあります。

私自身が最近体験したことをお話します。

私がオーストラリアへやって来たのはもう30年くらい前になります。

オーストラリアでは、歯医者さんは保険がきかずに高いと聞いていたので、悪い歯を全部治してゆくことにしました。
左下の奥歯は神経を抜く結果になりました。

神経がないから何も感じないはずなのに、この歯が7年くらい前からときどき痛むようになったのです。

歯医者さんに行くと、レントゲンを撮って、何も悪くないことが解りました。
それで歯医者さんは “神経がないのにおかしいね”と言って、何もしてくれませんでした。

それからもときどき痛んでいたのですが、歯医者さんが何もしてくれないのだから仕方がないとあきらめていました。

それが、一月前くらいから頻繁に痛むようになって、これは何とかしなければと思い、別の歯医者さんに行きましたが、結局どこも悪くないし神経がないのだからと言って何もしてもらえませんでした。

そこで、これからどうするべきかを聞くと、この後の選択としては、もう一度神経をさらに深く抜くこと、歯全体を抜くこと、あるいは我慢することだと言われました。

最初の二つは痛いしお金もかかるので、我慢することにしたのですが、一週間ぐらい前から一日に何度もうずくようになって、“仕方がない観念して歯を抜くか”と思い始めたところでした。

その時、ちょうど撰ばれたエッセンスにスピニフェックスが入っていたのです。

それを飲み始めると、痛みが和らぎ、三日もするとほとんど痛まなくなりました。
これは本当にスピニフェックスのおかげです。

神経は体調により過敏になりますので、これからまた痛みが出ることもあると思います。
でも我慢できる程度に抑えられたら、抜かないで、この歯とも長いお付き合いをしたいと思っています。

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ラスブルーベル・自分の中の愛を奮い立たせる

私たちは自分以外の者を、自分と同じだけ愛することはできるでしょうか?

母親なら、子供のために自分の命を捨ててもいいと思うこともあるでしょう。
誰かを生かすためなら、自分の命と引き換えにしてもいいと思うことは、たしかに大きな愛と言えます。

でも愛するということは、またそれとはちょっと違って、もっと日常的にやってゆくことではないかと思います。

結局人間は自分自身を一番愛している、というより本当は自分しか愛することはできないのです。

こう書くとなんて利己的な考え方だろうと顰蹙を買いそうですが、これは自分勝手で自分だけが大事ということではありません。

人間は、自分が生きるために生まれてきています。
ですから誰にとっても、自分は一番大切なものであるはずなのです。

自分を自分の中心にしっかりと持って、見失わないこと。
これが自分を大切に生きることです。

自分の外に在る神を愛することはできません。
“あなたを信じます、愛しています” と口で言ったり、祈りで伝えることはできますが、いったいどうやって愛するのですか?

愛するということは、自分の中に居る神を信じて、自分を愛することです。

自分への愛が深まれば深まるほど、他人を思いやることができるようになります。
他人への愛は自分への愛が生み出すものです。

自分のことよりも人の幸せを願う、自分のことはあとまわしで人のことを先に考える。
こういうことが意識せずに自然にできる人は、自分自身を本当に愛している人です。

自分をしっかりと持っていて、自分は価値のある大切なものであることを知っています。
そして自分の中に居る神をちゃんと認識しているのです。

その人の歩く道がどんなに暗く、その人の選択や行動がどのような形であっても、彼らの中にある愛を完全に閉ざし、内なる光と愛の火花を消すことはできない。

ラフブルーベルは、心の鍵を開けて、愛の火花を飛ばすためにスパークプラグに火をつける。
そして深いところに埋まっている愛を意識上に浮き上がらせる。


これはイアン・ホワイトの言葉です。

ラフブルーベルが、あなたの中に埋まっている愛を掘り起こして
“ほらあったでしょう。さあ、惜しまずにどんどん分けてあげなさい” と愛する方法を教えてくれます。

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レッドスーヴァフランジパニ・壊れた心を修復する

人間はどんな時に悲しむかを考えてみますと、色々な場合があります。

ひどいことを言われたとき。
仲間はずれにされたとき。
人に嫌われたと感じたとき。
自分の夢が破れたとき。
そして、大切な人との別れが来たとき。

心は痛みを感じ、血を流したり凍えてしまったり、あるいはバラバラに壊れてしまうかもしれません。

そのようなことは、人生でけっこう起きるのです。
その出来事が小さくても大きくても、心が傷ついたということには変わりありません。

それほど近い関係ではないのに、どなたかの訃報を聞いて泣かずにはいられないというときがあります。
あるいはテレビのドキュメンタリーやドラマでも、かわいそうな人の話を見て、まるで自分がその人物になったかのように悲しくなり、涙が止まらないこともあります。

そして何でこんなことで泣いている自分がいるのだろうと疑問に思います。

それは、あなたの中にずっと溜まっていた悲しみが、その出来事をはけ口として流れ出てくるのです。
だからそういうときは、恥ずかしがったり呆れたりせずに、十分に涙が流れるままにしておくほうがいいのです。

悲しいときは泣けるといいのです。
涙は、大きなヒーリングの役目を果たす道具なのです。

でも泣けないこともあります。
泣いてはいけないという思いで自分を抑えてしまうとき、涙でも癒せないほどの打撃を受けたときなどは、悲しみがいつまでも居座って、心が癒えるのを妨げてしまいます。

レッドスーヴァフランジパニlのレメディーは、なにかで心が壊れたときに、貼り付けたり、縫い合わせたりして、元の形に戻してくれるものです。

まるで、貴重な宝物を扱うように、優しく丁寧に労わりながら。
だって、もちろん、あなたの心は大事な大事な宝物ですから。

私の愛犬が死んだ時、その午後には人に会わなければなりませんでした。
悲しくても泣いてはいられなかった私は、このエッセンスを飲みました。
それはとてもよく効いてくれて、おかげで人前で泣かずに、いつもとほとんど変わらずに対応できました。

そのときはとても助かりましたが、あのこのためにもっと泣いてあげればよかったと、少し後悔が残ります。

でもあのこを思い出すときは、悲しみはなく、楽しい映像ばかり浮かぶので、ちゃんと私の中で悲しみを消化できているのだと思います。

大切な人を失ったときに、悲しみに留まらずに、幸せな思い出へと繋げてくれるのも、レッドスーヴァフランジパニの働きのひとつなのです。

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レッドリリー・霊的成長へ向けてのグランディング

仏教国で聖なる蓮として知られるレッドリリーは、スピリチュアリティーの象徴です。

泥沼にしっかりと根を降ろし、頭を水面にもたげて大きな美しい花を天へ向けて開きます。
これは肉体的な人間界から天上の霊的世界を見る、霊的開眼を意味するのです。

私はこのコンセプトがとても好きです。

ところで、私には自慢できるような特技は何もありません。
でも一つ上げるとすると、それは何時間でもボーっとしていられるということです。

ある時その姿を見た人が、“あら、あの人大丈夫かしら”と囁いたのを耳にしてからは、人に見られそうなときは本などを手に持つようにしています。

傍からはボーっとしているように見えますが、実はその間考えているのです。
まあ、想像している、夢見ていると言ってもかまいません。

その自由に自分の考えを巡らせる時間というのは、楽しく、そして色々なことに気づくことができるのです。

ですからDay Dreamerであることを恥ずかしがって隠したり、また無駄な時間を費やしていると思うことはないのです。

ただし、必要な時にはしっかりと地に舞い戻ってくることができればです。

夢見がちな人は夢を見て楽しみ、それで満足してしまうので、往々にして夢だけで終わってしまいます。
夢の世界にだけ住んでいて、自分の夢を現実の世界に持ってくることができないのです。

きっと足場がしっかりしていなくて、あっちへふらふらこっちへふらふらと漂っているだけなのでしょう。

たくさんのものを見たくて周りをきょろきょろと見回しても、足元がぐらぐらしていてはちゃんと見ることはできませんし、ましてや上を見上げることなんてできないのです。

レッドリリーは、そういう人たちにグランディングをさせて、現実的にものごとを成し遂げるための第一歩を踏み出させてくれます。

現実界にしっかりと根を降ろさずにスピリチュアルなものを追い求めると、そちらの方向へとどんどんと進んでゆき、この世界での大切なものを見失ってしまいます。

霊的な成長には、まずグランディングが一番に大切なのです。

また老齢で記憶力が劣ってきたり、認知症で “今ここにいない” という状態の方々に、アイソポーゴン、サンデューとのコンビネーションをお試しください。

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オーストラリアン・ブッシュフラワー・エッセンス・プラクティッショナーのブログ
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私は “愛” でいたいと思う。
誰もが “愛” であって欲しいと思う。
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